本山小太郎~本山小太郎~生年未詳~明治2年(1869)4月17日 幕臣。評定所書物方。 伊庭クンが遊撃隊の本隊から離れて江戸を脱出した時に、「八郎と友達」というだけの理由で、自分も江戸を脱し遊撃隊に身を投じた。 箱根で負傷した八郎が旧幕府艦隊に運ばれた時は、献身的に看病している。 慶応4年(1868)旧幕府艦美加保丸に伊庭クンとともに乗り込むが座礁。 悲観する伊庭クンを説得して上総から江戸へ潜伏させ横浜の尺振八に託す。 伊庭クンのお使いで吉原の太夫・小稲に金策を頼みに行った。 本山小太郎についての記録は少ないが、「気宇磊落」で「戦場にあっても、常に談笑している」ような人物だったらしい。 明治元年11月25日伊庭八郎とともにイギリス船で箱館に渡り、遊撃隊と合流。松前に布陣 明治2年4月17日、折戸浜の激戦にて戦死。 伊庭クンの 「まてよ君 冥土もともと思ひしに 志はしをくるゝ 身こそかなしき」 は伊庭が瀕死の重症を負う3日前に戦死した小太郎の事を詠ったものと言われている。 |